◇◇◇◇◇‘究極の精髄’◇◇◇◇◇


 むさぼる様に音楽を聴きはじめてもう20年以上…。今だに飽きるどころかその感応力は増すばかりだ。
どういう訳でこんなに感応するのか?この謎を問いつめると切りが無いけど僕は思うのだ、音楽は我々のこの世界の全てなのだと…。 たくさん聴いた音楽の中でもフェイバリットに挙げたいものがある。
音楽、と一口にいってもその切り口は数限りない。その無限の切り口に照らしてなお、マイ・フェイバリッドの地位に就く音楽。


それが 
Caetano Veloso だ。

 彼の音楽はブラジル音楽特有のサウダ−ジ(郷愁)にあふれつつ、いつもお洒落で前衛で、そして美しい。彼の生み出す不可解かつ難解な詩は、その難解さ自体がこの世界を一瞬の音の世界に単純化する。まるで100万年分の物語りを3分間の物語りに凝縮する魔術を見る様である。

 彼は幼少の頃「僕はキリスト(創造主)だ。あなたもこの世界もこの僕が創ったのだ」と言って周囲の大人を困惑させたらしい。驚くべき子供…。この言葉は何かの真理を彼の幼い魂が語ったに違いないと思う。彼の音楽の素晴らしさが彼の魂が知っている何かを物語っているから。


彼の曲に『ODARA』という曲がある。


私のフェイバリッド・アーティストの中のフェイバリッド・ソングだ。よってこの曲は私の愛奏曲でもある。シンプルだけど美しいコードチェンジ、メロディー…その詩情。しかしこの歌詞もやはり意味不明な難解さを持っている。
 このタイトルからして私には意味がずっと謎だった。この曲のオリジナルトラックのアレンジをしたヴィニシウス・カントゥアリア(現在ボサノヴァの弾き語りをしていて坂本龍一のレ−ヴェルから作品を発表している)に話しを聞く事ができた。
 この『タイトルの意味は何なの?』と聞くと彼が答えるに、これはポルトガル語ではなくアフリカの言葉で、<スピリチュアルなバイブレ−ション>を意味する言葉らしい。アフリカへの回帰や原始の熱情への郷愁がこの曲のテーマだとその時やっと理解できた。

 日本語訳には無理があると思うけど‥ちょっと紹介

踊らせて

この身体がもっと美しくなるように

この顔がもっと輝いて

この頭が明晰になるように

歌わせて

この世界がもっと美しくなるように

何もかもが珍しい宝石のようになるように

夢見たものはすべて

歌って踊れば手にはいる

                          〜ODARAより〜



 美しい詩だ。 でもこの訳と実際は少し違う、というか正確な翻訳は不可能と思われる。

これを読んだ人はぜひ音を聴いてもらいたい。素晴らしい曲だから…。

彼のお勧めアルバムはこれ!

CAETANO VELOSO

ほとんど弾き語り+アコースティックな伴奏で構成される彼の往年の名曲集
紹介した『ODARA』はまずこれで聴くべし



BICHO

こちらは『ODARA』のオリジナル・トラックが収録
70年代の名盤。トロピカリズモ運動も音楽的完成の域に達した感がありますね。



ESTRANGEIRO

日本のカエターノ・ファンが増殖した80年代後半、おそらく皆これにはまったはず。
当時ロックやジャズを通過した耳の肥えた音楽ファンに与えた衝撃は凄かった。
プロデュースは今やアンダーグランドな人では無くなったNYのカリスマ
アート・リンゼイとアンビシャス・ラバーズでイケまくりなキーボードを披露していた
ピーター・シェラーの両人。1曲目のリリカルかつ知的なピアノは彼のプレイ。
参加ミュージシャンも玄人好みな人選の超お勧め盤