7.may mon
8:00am
早く寝たせいで、珍しく早く目が覚めた。ゆっくりと瞑想してから出かけた。今日はせっかくだから観光客に変貌する事に。
ホテルのロビーには、Miles Davisのミュートのペットが鳴り響いていた。外は快晴。
GW明けの官庁街なので、僕の反対方向からは続々とスーツ姿の官庁マン達が歩いて来る。僕の様な種類の人間にはこの風景は実に異様である。
人間はその風貌から、その人の生きざまや、人生観が見えてくる。僕の目前を通り過ぎる人達の群れは、日本では8割り以上の平均的な姿に違い無い。その姿は、僕にはどこか哀しい。ステレオタイプ、平均化、規格化、、まるで判で押した様なスクエアな心の世界が透写できる様な気がした。GW明けの早朝にジーンズ姿で逆方向に歩く僕は、その規格から完全に外れた人間であり、それを自分に生き方にしている。多分彼等から僕を見ると、その姿はどこか哀しいのかもしれない(笑)。
地下鉄に乗って神宮西で降り、熱田神宮に到着。神社の森が街中で清浄の気を放っているのが気持ち良い。
まず目を引いたのは、「車はらい」という大きな文字。。車の御祓い入り口なのだけど、この習慣も非常に日本的で不思議である。海外で車に神父さんなどが、いちいち何かしないと思う。万物に宿る神、というものが自然に浸透している感性…。さすが八百万の神々の国である。
境内に入り神殿を眺めると、その清浄の気の強さに驚いた。僕は神社仏閣フェチなところがあり、旅をすると必ず地方の霊地を訪れるのだけど、ここはまじで凄い。それが天皇家の三種の神器の一つがあるせいなのかどうかは僕には解らない。
それは草薙剣、正式には天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼び、スサノオが出雲で倒したヤマタノオロチから出て来た剣である。一昨年、神無月(10月-出雲では神有月。ちなみに僕の誕生月)に、神々は本当に出雲に集まってるのか気に成って仕方が無いので、出雲に行きスサノオを祀る出雲大社を参詣したのだけど、なんだかこれも縁の様な気もした。
で、お守り類を眺めていると、僕は前厄年では無いか。そうか、それで胃腸が不調なのか。そうと解れば厄祓いをしようと思い、祈祷をお願いした。少し待っていると、境内では無く、100人くらい入る祈祷神殿があり、そこで9時ジャストに祈祷して頂いた。GW明けの月曜の午前9時などには、僕以外誰も居ない。広〜い境内にで巫女さんと神主さんは計5人。贅沢である。
非常にすっきりした良い気分になった。
10:00am
神殿近くの宝物館に入る。
ここが予想以上に良かった。
まず入り口に南北朝時代に墨書された日本書紀がある。漢文の楷書体で書いてある。この時代の正式な記述は全て漢文である。 その次には加藤清正や織田信忠の書状。それらの筆使いや書体をじっ〜〜〜くりと眺めて、もの凄く考えさせられた。
だいたい紀元300年頃から1800年後半頃までの我々の文字文化は漢文主体の墨書した記述である。
しかし、その後の100年でおよそ1500年続いたそういう文化をほぼ完全に私達は失った。日本の現代のいわゆるプロの書家ですら、ここに見える様な、当時の日本人が普通にしていた墨書の読み書きを完全に行える人は、おそらく一人も居ない。
世の中を眺めていると、まともな漢字の読み書きすら出来ないワカモノが「書道家」とか「書家」と堂々と語ったりしている。たぶん彼等は「子供のお習字」を「書道」だと思い込んだのだろうけれど、行書も草書もかなも、ましてや隷書や篆書体も、つまりは何も読み書きすらできなくて、アホな自己顕示欲丸出しで「書家」というのは、恥知らずを通り越してお笑いである。
それは最も極端な例だけど、日展入選何回なんてベテランプロも、当時の書家でもなんでも無い貴族やら知識人には到底叶わないのだな、これが…。
ま、僕も「書家」とか「書道家」とか世間的に思わず呼ばれてしまうのだけど、自分で「私は書家です」と言ったりした事は無いし、恥ずかしくとても言えないよな。
…が、しかし、、たったの100年である。この状態に成ったのは。
今ここに僕が書いている様な文章、文体、文字文化の歴史は、たかが100年以内の歴史に過ぎない。
漢文で読み書きしていた頃の全てが良い訳でも無いけど、明治時代を起点に大衆にわかりやすくする目的で削除した文字文化の量は膨大である。。。
この展示物の風景には、1400年分の日本の心の世界が濃厚に並んでいる。それはこうして眺めると想像以上に優雅で深く、まるでヨーロッパの重厚やフランスの優雅などに憧れる様に、憧れをすら感じる。それぐらい、今の我々と距離があるのだ。
そういう事を考えながら進むと、祭祀の展示物。
踏歌神事。これが面白い。
平安時代からの宮中行事で、アラレハラハラと歌い、大地の精霊を踏み鎮め、振鼓の音色で豊凶を占う神事である。
日本語学者大野晋氏は南インドのタミル語と日本語の類似性を指摘されているが、ハラハラというのはインドでも神歌に歌われる。ハラハラはシヴァ神に巻き付いた生命の原理を象徴する蛇なのだけどね。
さらに奇妙な神事は、酔笑人(えようど)神事といって、真っ暗な中で、見てはならない神面を隠し持ち笑う、という神事である。なんでも草薙剣を手に入れて思わずほくそ笑んだ故事から来るらしい…。なんだそりゃ? 何かの秘儀があるのかも知れない。
今度は、神事で用いる衣裳類。これもまた優雅で美しい…。こんなもの着てた日本人の美意識は凄い…。
で、更には、日本刀の酩品の数々。日本刀…。これは単なる武器以上に、日本の武士道精神の産物だと思う。美しいというか、かっこいいというのか‥。精神主義と人を殺傷する武器が、ここまで一致しているものは世界にも無いと思う。これ、腰にさして普通にそこらをうろうろしてたんだものね、つい100年前までは。武士道精神を失ったら日本人は日本人じゃないよな。。子供の頃に剣道をしてたから、余計にそう思う。
自然に神があり、神意の究極を剣に託している人間の姿…。もうこれだけで美しい…。
我々が既に失ってしまったものは、あまりにも大きい。
連続し積み重ねるのは難しく、壊れ消え去るのは実に簡単な事を、我々はよくよく噛み締める必要がある。
目眩がするほど感動しつつ、宝物館を出てから、ゆっくりと広い境内を散策し隣接の神社を参詣した後にコーヒーとアイスで和む。しかし油断してコーヒーを飲んだらまた胃腸の気分が悪くなった。もう時間も11時になっている。タクシーでホテルに帰って寝た。
3:00pm
起きてシャワーを浴びてから、歩いて名古屋城に。城を眺めるのは何十年ぶりなのだけど、こんなものよく造ったよなぁ…。ピラミッドなんかもよく造ったと思うけれど、この石垣の精密さも、当時よくこんな技術があったと思って感心する。
石垣から上の名古屋城は戦中に戦災で燃えて滅び、戦後に建て直したものである。でもむしろ建て直した今の方が、古びた木造よりも建てた時のニュアンスに近い気もして殿様の気分を想像しやすい気もした。
この天守閣に殿様として立つ気分はどうだろう?
それは生易しいものじゃない。城内の細々として本屋さんするある部屋割りや、城下街の風景をどんな気持ちで眺めただろう?一瞬のうちに滅ぼされる中世の戦乱の危機と、その権力は隣合わせである。武士道精神が研ぎ澄まされるのもよく解る。
城を出て、きしめんを食べた。
5:00pm
街中に行き、Lovelyというジャズのライブハウスと、Vocal innという店を発見。夜は地元のベテランミュージシャンを聴く事に。
葉巻きを買おうとビルに入ると、地下街に日本人ジャズメンの写真の飾ってあるドルフィンという店を発見。バナナジュースを飲む。新聞記事に日本一のヘタウマと大江健三郎に評される作家が載っていて興味をそそられる。
5:30pm
ロボット・ミュージムというビルが目に入り、誘い込まれる様に入館。SF作家F.K.Dickの大ファンとしてはこれは見逃せない。
入ると真っ先にセグウェイという乗り物に乗らされた。案内の男性はなにかオタクっぽい。乗ってみると思ったより面白かった。2階にあがるとロボット文化の歴史が並んでいる。
ロボットはユダヤ教の錬金術で造った人造人間ゴレムを発祥とするらしい。なんか感覚的には気味悪いよな、それ。
日本のからくり人形も展示してある。
更に進むと、1927年のドイツのサイレント映画、『メトロポリス』の展示物。これ名作だよね、やっぱ。。で、色々な紹介をipodの解説を聞きなら眺めていく。
現在のロボットとしてはホンダの2足歩行のロボットやソニーのアイボなどを紹介。日本のロボット開発はいい線をいってる。でもdick的世界はもう少し先だな…。
出て1階に戻るとショップがあり、これがかなり楽しい。スターウォーズのライトセ−バーを試してみたけど、振ると音があの、ぶぅ〜〜ん、という音で思わず笑った。でも、やはりレーザー光線の様なもので出来てて欲しいな、これ。。ぐるぐる歩いて宇宙食などを眺める。
7:00pm
外に出て歩くと、ショーウィンドの服が気になり、ファッションビルへ。しかし、どれもこれもベタなノリのファッションだ。ベタベタのロックという感じ。これはまさに名古屋風だ。裏原だったら、流石にこれは無い。
穴空きジーンズの金刺繍の加工が面白いと思った。あと、真っ赤なスカーフ。思わず買いそうになったが止した。
8:00pm
そうこうしてるとライブ時間に。Lovelyに入店。僕も名前だけはなんとなく知ってた73歳になる地元のベテラン・ギターリストのライブだ。73歳にしては随分若いギターを弾く人だと思った。ジャズより寧ろブルースなどがお好きな模様。若いアルト、ピアノの人はなかなか良い音を出してるね。70を超えて現役でステージに立って若々しい内容を弾く、というのはとても素晴らしい事だと思った。
ビールを適当に飲んで聴いてホテルに帰った。いよいよ、明日はDavid Tである。